2002/4/3

 
2日前の夜「なんか変な音がして、眠れない」
と言って起きてきた
たつ
(耳鳴り??)まさか・・・
 
鼻をかむのは上手(?)だった
たつが、最近鼻をかむのを
嫌がって、園服の袖で鼻を横に引っ張るもんだから、
左のほっぺただけ真っ赤になっている。
 
兄ちゃんまで喉が痛いと言い出し、咳も出ていたので、
2人そろってかみで先生の所へ。
 
中央病院で撮ったCTを見ながら、絵を書いてくれて
説明してくれたかみで先生。
耳小骨の3つのうちの真中の所にちょうど真珠腫があるらしい。

たつー東京に行くんだぞー」

と先生。

「もっと大きいと思っていたが、
まだ小さいので安心した」


と先生が言ってくれて、私もとっても安心した。
ただ、耳小骨はもう溶けてるのか?
と思うと聴力回復が心配…



2002/4/4


予約していた10時に中央病院へ。
30分ほど待ち、先生のお話を聞く。
この日、私はてっきり
「入院・手術」
決まったものだと思っていた。

 ところが、先生から聞かされたのは

「大学教授と相談した結果、
すぐに手術する必要はないでしょう・・・という事で、
夏休みなど、まとまったお休みにでも
東京に行ってもらって、もっと詳しい
CTの検査をしましょう。
それまではかみで先生のところで、
月に一度くらい定期的に受診してください」

 あまりにも意外だったので、
何も言えなかった(またしても・・・)

私は仕事してるから、夏休みなんてない。
新しいクラスや、新しい先生にようやく慣れた頃に
手術するより、今のうちにして欲しい。

いつかは手術しなければならないのなら、
真珠腫の進行を黙って見てろと言うのか?
こんな不安な気持ちで毎日を過ごすの?
まだ小さすぎて手術が難しい
・・・と言われたほうがまだマシだ。
 
 どうしても納得いかなかった。

かみで先生の所に、すぐにでも飛んでいきたかったが
とりあえず、いろいろ考えた。

考えて

考えて

考えぬいた・・・
 
結果、親戚に薦められて、一度は迷った
東京にある高度耳鼻咽喉科専門病院の
診察を受けてみようと決める。

親としては、こんな不安を誰かに
取り除いてもらいたい。

同じような見解であれば、少しは納得するし
今度こそもっと詳しく説明を聞こう・・・
と思った。



2002/4/5

 
わからないものだ。医者というものは。

意を決していった東京の病院では、
あっさりと


『真珠腫ではない』

と言われてしまったのである。

門前払い状態で追い返され、
時間も有り余ってしまったので、
もう一件別の病院を受診。

すると、ここでも真珠腫には見えないとの
診断。・・・・・・が、
違った方法で診てみると

「これで見ると、真珠腫に見えますねー」

なんじゃそりゃ。

しかし、その先生に言われた。
セカンド・オピニオンをしたいのなら、
CTの資料とか、聴力検査の資料とか
全部持ってこないとダメですよと。

ごもっとも。やっぱりかみで先生に
言ってから来れば良かったかな。


2002/4/8

 
たつの名前で予約を取ったが、
私1人で話を聞こうとやってきた。

本当に真珠腫なのかと、念を押して何度も聞いた。

先生には申し訳なかったが、
違う病院を受診して、
真珠腫ではないと言われたことも言った。

でも、真珠腫だよとはっきり言われた。

じゃあ何で手術を遅らせるのか?と尋ねると、
多分、思ったより真珠腫がまだ小さくて、
もう少し様子を見ようということなんじゃないか・・・
とのことだったが、私は懇願した。

「いずれ手術するのなら、早くして欲しい。
こんな気持で夏まで待つのは嫌です」


・・・・と。
 
かみで先生は慈恵医大に電話してくれて、
CT検査の予約と、外来予約を取ってくれた。
今の私にはかみで先生を信じるしかない。

赤ちゃんの頃から、
たつの耳を見てくれていた先生だ。
一番話せる先生を信頼するしかないのだ。



2002/4/18

昨夜から東京に来て、朝一番で受付を済ませる。

まずはかみで先生の診察。
地元の病院では白衣を着てないのに、
今日の先生はお医者さん!
という感じにかっこ良く白衣を着ていた。

たつはいつもの先生って分かっているのか、
ちっとも怖がらない。
さて、前と同じくお薬を飲ませてCTを取る。

が・・・・・・やっぱり寝ない煤i ̄■ ̄‖)

抱っこ・おんぶ・お姫様抱っこ・子守唄・散歩
あらゆる方法で寝かしつける。
17`の
たつは重い・・・腕がパンパン。
 
CTの結果が出て、教授の診察を受けるまでの間、
まだ薬が残っていて、フラフラ状態&ぐずり状態の

たつ
を何とか静めようとおんぶして、
近くの公園に連れて行く。


てんとう虫を見つけるんだ


と言い出すが、ふらふらしていて公園の中を
酔っ払いみたいに歩き回っていた。
 
午後、教授の診察を受ける。一番偉い先生だから、
いい子にしててね・・・
というママの言葉なんか「知るか!」というように
ぐずりまくる
たつ
ゆっくり話も聞けない状態。

かみで先生と教授は専門用語でしゃべってて
全然わからないし、
たつは大切な病院の
機械の周りをうろちょろしてるし、
ママは冷や汗が止まらなかった・・・
 
詳しくは、来週かみで先生のところで
お話を聞けることになった。
 
母・・・しばし筋肉痛の日々が続くであろう・・・


慈恵会医科大学付属病院の印象は、
思ったよりも良かった。
大学病院というと、なんとなく怖いイメージがあったが
看護婦さんの印象も良く
(特に耳鼻科の主任さん、お世話になりました・・・^^;)

いや、これからもお世話になります)
教授もとても優しかった。
なのに、うちの
たつときたら・・・
はあ・・・・ため息ばかり。



2002/4/22


先生が詳しくお話してくれると言うので、お昼休みにかみで先生のところへ行く。

入院・手術に関してのお話と、真珠腫の進行状況など、詳しく教えていただいた。

以前話してくれたように、耳小骨の一部をはずして、真珠腫を取り除ききれいに清掃をする。

どうやら、
たつの真珠腫は鼓膜に張り付いているらしく、もしうまく取れれば問題ないが
ポロっと取れない場合は、鼓膜も切って、鼓膜形成をするらしい。
(ポロっと取れてくれないかなあ・・・)
 
ふと思った。

「真珠腫ではない」

と、きっぱり言い放ったあの先生がもし主治医だったら、
耳垂れや何かの症状がなければずーっと気がついてもらえなかったのだろうか??
 
手術は6月の下旬あたりになりそうだが、
約2ヶ月の間に真珠腫があまり大きくならないことを祈るばかりだ。

2002/4/25

 今日は、母1人で慈恵大病院へ。
今まで1人で電車に乗ったこともなかった私が、
今回のことで「たいしたことないじゃん!」って、
思えるようになった。
自分の中ではすごい成長。
 
手術は6月25日。ちょうど2ヵ月後になる。
入院は12日から14日。24時間付き添いの予定。
 
ポイントを教授が優しく話してくださった。

@耳小骨の2番目と3番目をはずし、
音を伝える代わりの物を入れること

Aたぶん鼓膜の半分は切り取って、鼓膜形成をすること

B若干の聴力は落ちること

C手術は全身麻酔であること

D近くに顔面神経があるので、それを傷つけないように
慎重に真珠腫をとらなければならないこと

E鍾乳洞のように入り組んでいるので、
もしかしたら1年後にもう一度開かなければ
ならないかもしれないということ


手術の日程がはっきり決まり、今までの診断が
コロコロ変わっていたときの不安はなくなった。

あとは2ヶ月の間に、どれだけ真珠腫が大きくなってしまうか、
それだけが不安だ。



2002/6/6


 手術も近づき、手術前の全身検査を行った
形式的な検査だから・・・とは言うものの、
元気いっぱいの
たつはやはり暴れまくって
手におえない。

心電図→ぺたぺたと胸に貼り付けるのが
くすぐったくて仕方ない
笑い転げて、若い看護婦さんてこずる・・・

採血→注射器が見えた瞬間病院の廊下を

「いやだ〜〜〜」

と叫びながら逃走。

肺活量(?)→何度やっても失敗。
結局看護婦さん断念。



2002/6/14


手術が全身麻酔で行われるため、麻酔科の外来を受けに慈恵医大に行く。

麻酔科の先生が女の先生だったので、
たつはテレまくり。
危険性もきちんと説明していただいた上で、万全の体制で臨む事も説明して下さった。

ちょうど診察中、地震があった。怖い怖い・・・



2002/6/21

2歳の長女が風邪をひく。
手術前にもう一度診察してもらう為、
二人を連れてかみで耳鼻咽喉科へ。

ネットを通じて知り合えたお母さんと時間をあわせて予約。
先生??と不思議顔。

昨年末手術をした女の子から『お守り』といって、
ドラえもんのボタンが付いたビーズのネックレスをもらう。

たつ、相当嬉しかったらしく、ベッドまで持っていったらしい
お母さんからはペットボトルのホルダーと
ストローを頂いてしまった。

本当にありがたく、感謝の気持でいっぱいです。

かみで先生が手術の日と次の日と病院を臨時休診にして
たつの手術に立ち会ってくれるそうだ。なんとも心強い。
これまた感謝感謝です。



手術までの経過は以上です。真珠腫という病名をはじめて知ったときから

手術が決まるまでの間は本当に不安でたまりませんでした。

でも、手術の日程が決まり、こうしてネットを通じて同じ病気の方と

知り合うことができ、励ましてくださったりいろいろと情報交換できたこと、

とても嬉しく思っています。




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