はじめまして。現在39才、女性、茨城県つくば市に住んでいます。
私は2004.10 今から2年前に「真珠腫性中耳炎」の手術をしました。
私の体験を話すことによって少しでも皆さんに勇気を分けてあげられたらと思いカキコしました。
(大人対象になっちゃうかな?)

小学生の頃からプールの授業の後には必ずと言っていいほど中耳炎になり、
毎年夏休みには耳鼻科に通っていました。
当時は今のように「点耳薬」で治す治療ではなく、耳に綿棒のようなものをグリグリ入れ
ガーゼに薬を付けたのを耳に押し込み脱脂綿でふたをする。このような治療を治るまで毎日通ってましたね。
耳の中に注射をしたことも・・・
中学・高校はプールに入る機会が少なかったせいか耳鼻科通いがなくなり
大人になっても顔を出して泳いでいたので、中耳炎のことなど忘れてしまっていたほどでした。

2年前、家族で旅行に行き子供達(小3、小1)に泳ぎを教えてあげようとプールで泳ぎました。
2泊して帰ってくる車の中で耳がなんとなく痛い感じがして「中耳炎?」と思いましたが、
「この年でまさかね」なんていたら、翌日には激しい痛み。
ちょうどお盆のころで近くの耳鼻科はお休み。そこで、職場の近くに総合病院があったのでそこに行きました。

診断は中耳炎。「やっぱりな」と軽い気持ちでいたら、
『真珠腫性中耳炎』の疑いがあるので、専門の先生に診てもらった方がいいでしょう
といわれ「何それ????」って感じでした。
別の日に、『真珠腫・・・』に詳しい先生に診てもらうと
「CTを撮って見ないと判らないけどおそらくそうでしょう」と言われ、色々な説明を受けました。

結局のところ、”手術”しか治す方法はないということ。
リスクとして、視神経・顔面神経・聴力・味覚など、耳の中には大事な神経が沢山とおっているので、
もしその部分が溶けていたら、また、手術によって傷つけてしまったら麻痺することがあること。
でも、年齢によるけれど治ると言われました。
一番嫌だなと思ったのは顔面神経でしたね。難聴も嫌ですけど。一応女性ですし・・・
あと、全身麻酔によるリスクも、麻酔科の先生から話をされました。

『真珠腫』の手術の方法には大きく分けてopen法とclose法の2通りがあります。
子供のうちの『真珠腫』は聴力を優先する為close法をするので何度も手術が必要になってくる(あまり骨を削らない方法)
私の場合、何度も手術をするより1回で・・・というお薦めでopen法をしました。
溶けてしまってポケット状になった所をもう少し削り穴を大きくし、
耳たぶの上の方にある軟骨を埋めて穴を塞いだらしいです。でも、その軟骨、普通にあるので耳の形は外見上まったくわかりません。
open法は再発の可能性が低いので大人の人、子供でも重症な人に薦めているようです。


生れてから36年、出産以外で入院・手術なんて初めての事で不安でした。それに子供達のことも。
幸いなことに、主人の両親と半同居をしていたので生活面は全てお願いしました


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私が入院したのは「茨城県つくば市の学園病院」です。担当医は原先生。
筑波大学付属病院の先生が週1だけ非常勤できているのです。
手術前日に入院。右耳に沿って髪の毛をバリカンできれいに剃られました(髪が長かったので隠せましたが)。
安定剤の点滴。当日は点滴をしたまま手術着に着替え、病室から車椅子で手術室に移動。
「手術室」の文字を見たとたん不安と恐怖で涙があふれました。
手術室はひんやり寒かったです。あまりに泣いていたので、麻酔科の先生が
「怖いから早く寝ちゃおうな」と子供をあやすように声をかけてくれて
口元にガス臭いニオイがしたかと思ったら「○○さん、終わりましたよ。わかりますか?」という声。
約2時間半の手術だったようです。

その後、1週間は耳の周りの縫ったところを毎日消毒。傷は思ってたほど痛くはなかったですが、3日間ほど痛み止めを飲んでました。
めまいさえなければ自由にトイレにも行けたので、”思ってたより楽じゃん”って感じでした。
洗髪できないのが辛いくらいで。でも、1週間たって抜糸の日に地獄がまっていました。
抜糸自体は痛くなかったのですが、耳の中に入っているガーゼを取りはじめたら、激しい痛み!!
次第に手が冷たくなり始め呼吸困難に・・・血圧をはかったら80以下に下がってしまったようです。
あまりの激痛と恐怖に急激な貧血状態になりその日は、途中で処置終了。
原先生に「子供2人産んでるんだろ。それに比べたら・・・子供だってみんなやってることだぞ」みたいなこと言われたけど、
痛いものは痛い。私だって早く耳の中のガーゼ取ってもらいたかったけど、血圧は私の意志でコントロールできるもんじゃない。
またまた、泣きながら車椅子で病棟に送ってもらいました。

病棟看護婦さんは優しい人ばかりで、ふがいなく泣いている私を励ましてくれました。
翌日は痛み止めの点滴をしてもらい、意識朦朧としたなかで処置しました。が、やっぱり痛かった。
出血した血がガーゼにくっついてこびりついた状態のを剥がしたので痛かったと、
その日処置してくれた女医さんが教えてくれました。
それから2週間、処置室に入ると貧血になりそうになり、トラウマになってしまいました。
抜糸と、ガーゼ取りが終われば、洗髪もシャワーもOKなのでその後はつかの間の休息を楽しんだ感じです。
耳の中以外は重病人じゃないので、パジャマじゃなく部屋着を着てました。
なんか入院=パジャマと思っていたのですが、他の患者さんもそうだったので
私も真似してみました。お見舞いの人がみたら、”なんでこんな格好の人が入院してるの?”っていう位 ラフでしたね。
今まで、がむしゃらに働いてきたので3週間の入院は辛いこともあったけど、いい骨休みになりました。
子供達に会えないのが淋しかったですが・・・

術後のリスクとしては、右舌が半分麻痺して味覚(特に甘味)がわからなくなりました。
チョコレートが油に感じました。半年くらいで味覚は戻りました。
聴覚は前と変わらずありました(もともと聴力、よくはなかったですが) 
先生が思っていたほどひどい状態ではなかったらしく、味覚の麻痺だけですみました。
3週間の入院を経て、その後は半年に1度通院して経過をみています。今の所良好でやってよかったと思っています(^_^)

後から、入院してきた『真珠腫』の人は、激しいめまいがするので診察を受けたらしいのですが、
かなり大きく削ったようで手術後の顔がゆがんでました。
たぶん、顔面神経になってしまったんだと思います。
でも、面と向かって言えないので「何ヶ月かしたら治りますよ」としか答えられませんでした(>_<)
その方を見ると、軽い症状のうちに『真珠腫』とわかりすぐに手術をしてよかったと思います。(かなり勇気はいりましたが)


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あれから2年。右耳は順調です。去年は沖縄に行き、耳栓つけてシュノーケルもしました。

ところが、今 左耳が中耳炎になってしまいました。
念のためCTを撮り確認したところ『真珠腫性中耳炎』だといわれました。今度は、左・・・・・・
そういえば右耳の時言われました。
「今の所 左は大丈夫そうだけど、きれいとは言い切れない。左側も手術しなくちゃならない場合もあるからね』と。
そのときの先生の診断どおりになってしまいました。

でも、今やっておけば 決していいわけではない左耳の聴力を保つことができる。
難聴になっていらいらするよりいいし、まして髄膜炎になんてなったら
大変だし、症状の軽いうちにやってしまおうと主人と相談し、またまた10月に手術することに決めました。

まだ、子供達には話してません。義母が頚椎の手術で入院しているので、知っているのは私と主人だけ。
義母が今月中に退院し私が手術するまで2ヶ月あるので、近くなったら話そうと思ってます。
10月は学校の行事が一番少ない時期なので・・・

私の経験が(たぶん大人が対象だと思いますが)皆さんに役立つといいなと思います。
まぁ、病院や医者、『真珠腫』の症状によってさまざまではありますが。
でも、書きながら涙が出そうになります。また手術をしなければいけないことを思うと・・・
それに、また3週間も家を空けること。 仕事を休まなくてはならないこと。
理解ある家族と上司に恵まれて幸せではありますが、やっぱり手術は怖いですね。