我が家は娘が中耳炎と診断されたのが1歳(現在6歳)ですから、
耳鼻科とはかれこれ5年の付き合いになります。

1歳のとある日の夜、寝かしつけようとした娘の様子がおかしい!
目が虚ろで焦点が合っていないようでした。呼びかけても、反応なし。
口を開こうとすると、上下の歯を強い力で噛み締めており、
咄嗟にひきつけを起こしていると思い、救急車を呼びました。

搬送先の病院は小児科が無く、その場の診断は熱性けいれん。
その際小児科受診を薦められたこともあって、
翌日に隣の市の総合病院の小児科・そして運命の耳鼻科を受診しました。

その時点では、真珠腫云々というのではなく、
鼓膜の内側に水の溜まる一般的な「中耳炎」と診断されました。

今にして思えばこれが中耳炎との長い付き合いの始まりで、
高熱=中耳炎というのもこの時に知りました。

それから4歳までは、中耳炎を再発しては薬の治療、
時には鼓膜の切開というような感じの治療を続けていましたが、
それは根気以外の何者でもありませんでした。

両親共働きという環境下での定期的な通院(ほぼ週1)、
そして幼ない娘に食事のたびに薬を飲ませなくてはならない状況が何年も続き、
なにより本人が辛かったと思います。

そのうちに、言葉を覚える時期に中耳炎の再発を繰り返しているのは発達に影響があるからと、
次第に鼓膜にチューブを埋め込む手術を先生に勧められるようになり、
私たち夫婦も「手術」については、考えるようにはなるものの、
そんな「真珠腫」なんていう命にかかわる中耳炎なんぞの存在は、
その時点では知る由もありませんでした。

娘が成長するに従って、病院に通院する間隔も広くなってきたある日、
かかりつけの病院の耳鼻科の先生が病院を辞め、
個人で医院を新たに開業することになりました。
それまで、比較的設備の整った病院に信頼のおける先生がいてくれることが
私たちにとって、かなりの救いになっていたのですが、
設備は無くともこの先生を追って病院を変えるか、
設備的な面を重視して先生が変わっても今までの病院を継続して受診すべきか、
正直迷いました。

そうこうする内に2ヶ月くらいの間隔が空き、結局今までの先生を頼って、
開業した耳鼻科を受診することにしました。
しかし、そのとき既に深刻な事態だったらしく、十分な検査設備もないからと紹介状を持たされて、
結局今までの病院に逆戻りし、いきなりCTで検査することになりました。


そして検査の結果「真珠腫性中耳炎」と診断されました。
うちの娘は右側の耳でこのときは4歳の冬でした。

診断後、病状や手術について先生から説明を受けましたが
頭が真っ白になってしまい、このときのことはあまり覚えていないです。
その後、自分なりに真珠腫について知っておこうと、
インターネットや家庭の医学を始めとする書籍などいろいろと調べてはみましたが、
どれをみても必ずあるのは「手術」の二文字・・・。

診断から約一月半後、1回目の手術を受けました。
私は北海道在住なのですが、執刀には旭川医科大学附属病院の教授が来てくださいました。
手術時間は大体4時間から5時間くらいだったと思います。

1回目の術後、教授から説明を受けた内容は、

真珠腫が顔面神経の近くまで来ており、神経に触れることにより、
顔面麻痺の危険性があるために完全除去は行わなかった(部分的に残した)。
耳小骨・キヌタ骨・アブミ骨が真珠腫により破壊されていた。
1年後再手術を行う。また、今回の手術によって、
一時的な顔面麻痺症状があるかもしれない。

というものでした。

皆さんも手術後の心配のひとつとして「顔面麻痺の可能性」があるかと思います。
手術の成功だけを信じていた私達がその事実を告げられたときは、
現実として受け止めることが出来ず、不安に押し潰されそうになり、
病室に戻ったあと夫婦揃って泣きました。

手術室から病室に娘が戻ってきたときには、酸素マスク、点滴を付けられ、
熱は39度、全身麻酔から覚醒すると、痛みに耐え切れず泣き叫ぶ状態で、
痛々しいその姿を見るたびに、親として誰もが思うことでしょうが
代われるものなら自分が身代わりになりたいと心の底から思ったものです。
全てが初めてのことですから何もかもが判らない事だらけで
「頑張ったね、頑張ったね」と声を掛け、
そばにいることしか出来ない自分自身に歯痒さを感じていました。

その後心配された顔面麻痺は無く、3週間ほど入院した後退院しました。
1回目の手術から2回目の手術までの間隔は、うちの子の場合1年で、
その理由は手術でわずかに残した真珠腫が、
再度ある程度大きさまで拡大するのを待って、
半年から1年後の再手術において根こそぎ摘出するということでした。

「骨溶かしていくのに、そんなに放置しといて大丈夫なのか?」

と正直思いましたが、先生を信頼し、手術の頃合について
再び指示が下されるのを待つしかない不安な状況が1年続きました。
2回目の手術は今年の1月で「真珠腫の輪」のHPを知ったのもこの時(手術の前日)でした。

1年前に手術を経験しているとはいえ、不安な気持ちを拭い切れず、
掲示板に書き込みさせていただいたところ、いろいろと皆さんに温かい言葉で励ましていただき、
すごく有り難く感じたのがまるで昨日のようです。本当に嬉しかった。

この手術では、
お蔭様で真珠腫を完全に除去していただき、損壊していた骨の再建もしていただきました。
おまけに術後に摘出した真珠腫も見せていただき

小さな液体の入った容器に米粒のカケラの様なものが浮いていました。
こんなに小さいもの、よく解ったなってくらいに細かくて小さかったです

また耳にあった奇形のような窪みを「ついでに取っといたから」と軽く言われ(!)、
この上ない手術結果に緊張の糸が1本残らず切れまくって、全身脱力状態になりました。
この後今日まで定期的な耳鼻科の受診は続いています。
今のところ再発は無く、術後の経過は順調です。

皆さんも同じとは思いますが、入浴(洗髪)時に耳に水を入れないように気をつけていたり、
プールには耳栓持参だったり、また、たぶん聞こえが悪いせいだと思うのですが
車に酔いやすかったりと、耳に対してはいろいろと気をつかう毎日です。

また、うちの子は1度目の手術の際に耳の後ろ、
2回目は耳の前側の皮膚
を切りました。傷跡はまだ痛々しいです。
女の子だけに、年と共に傷跡が気になる時期が来るのかもしれません。

私は、手術前に「真珠腫自体子供に出来ることは稀だ」と先生から聞かされていました。
実際、うちの娘とほぼ同時期に職場の先輩の奥さんが、
同じ病院で真珠腫摘出の手術を受けていましたが、
その方以外では周りを見回しても同じ病気の子供はいなく、
「何でうちの子だけが・・・」とも正直思いました。

しかし、「真珠腫の輪」を通じて同じ病気のお子さん達がたくさんおられることを知り、
そしてその親御さんの励みになれればと、文章力が非常に乏しいですが
思い切って今回投稿させていただきました。

実際に自分達は子供が真珠腫であることを告げられ手術に赴くまでの間、
家族としての結束はありましたが、その枠を飛び越えると孤独でした。
周囲には、「たかが中耳炎」くらいにしか認知されていない部分もあったと思いますし、
自分も娘に真珠腫がなかったら一生その程度の認識しかなかったと思います。

もっと早くこのHPの存在を知っていたら
そんな気持ちはきっと微塵もなかったに違いありません。