入院1日目 平成
16105日(火)

午前9時、麻生病院(耳鼻咽喉科専門)に到着し入院手続きをすませる。
3階の病室(
303号室)に案内され、いよいよ今日から入院生活が始まった。
病院用のパジャマに着替えてから早速、抗生剤の反応検査を行なうことになった。
検査の結果は異常なし。その後、病院内を簡単に案内してもらい院内規則の説明をうける。

12時 最初の院内食を口にしたが、まあまあの味、量は少なめ。 

13時 処置室に案内され、副院長のY先生に手術承諾書の説明を受けた。場合によっては再発の可能性あり、
また真珠腫の除去を優先するので聴力が少し落ちることもあります。
成功率は70〜80%です。という内容だった。
承諾書に押印がなければ手術は出来ませんと言われた。
その後、検査室に案内され聴力検査、鼓膜検査、眩暈検査、言葉の聞こえ検査、重心動揺検査、などを行なった。

1430分に入浴。
ここでは
14時〜20時まで入浴時間で、手術後、許可が出れば、毎日入浴出来るようになっている。
洗い場は二つしかないが大理石調でとても立派だ。

18時に夕食 
入院食にしては意外と美味しく、おかずの数も多い。
それに、週に二日、ご飯かパン、そばかうどんをセレクト出来るようになっている。
22時消灯。

そもそも私が、中耳炎になったのは中学1年生頃だったと記憶しています。
突然、右耳より耳漏が出て来て耳鼻科通いになります。
痛みの記憶はありません。部活(柔道部)の合間をみて、週に2〜3回通院していたように思います。
良くなれば中止、耳漏が出たら通院という調子で、大学生位まで続けていました。
この間に慢性中耳炎に移行して行ったのだと思います。
何処の耳鼻科でも鼻からの通気治療が主な治療でした。
そのうち通気治療が自分で出きるようになり、医療器具屋さんから通気治療セットを購入し
現在(42才)
に至っています。自分で通気治療を行なうようになってからは、殆ど耳鼻科にはかかりませんでした。

今年9月に風邪をこじらせ、耳が篭った感じになり、耳鼻科へ行くと真珠腫性中耳炎とのこと、
手術を薦められ入院する事になりました。

入院2日目 平成16106日(水)

6時起床 窓際のおじさん(Sさん60才)は、昨日、私と一緒に入院した人ですが、
とても元気が良く、いきなり窓を開け、空気の入れ替えを始めた。
私は寒くて目が醒めた。Sさんは鼻が悪いらしい。

7時30分 朝食 まあまあの味 牛乳が出てきたので3年振りに飲んだ。
牛乳は身体に悪いという事を知ってから、私は牛乳を口にしていなかったのです。

10時頃 
自宅からрェ来る。この病院は携帯電話OKでロビーでは、皆、自由に使用しています(病室ではマナーモード)。
ただしペースメーカー装着の患者さんがいる時は、禁止される場合があるようだ。

今朝より右耳が塞がった感じがすると思ったら耳漏が出てきた。一抹の不安を感じるが手術は出きると聞いて安心。
昼食後、内耳道のレントゲン撮影と、耳の中に水を入れ眩暈を起こす検査を行なった。

15時 手術室の看護師さんから明日の説明を受ける。手術は13時30分を予定しています。
特に注意して欲しいことは、手術後、許可が出るまで、鼻かみと鼻すすりは絶対にしないようにと言うことだった。
その後、病棟の看護師さんからも簡単な手術後の説明を受ける。術後2時間は安静にしてもらいます。
その後は歩いたり、自由にして結構です。そして右耳の後ろを指1本分位、電気カミソリで剃られた。

夕食後に入浴、暫らくお風呂には入れないので入念に体を洗った。

22時より明日の手術まで絶食を命ぜられる。

入院3日目 平成16年10月7日(木)

6時15分起床 いよいよ今日は手術だ。昨日より出始めた耳漏が気になる。

7時30分 朝食は昨日より絶食中なのでなし。ロビーでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたが、
昨日より絶食中だったことを忘れていた。やばいッ!

10時頃 さとちゃんよりрェきた(緊張が少し緩んだ)。

11時30分 手術用のパジャマに着替え、右腕に点滴をされる。中身はポカリスエット?みたいなものらしい。
手術の時には、これに麻酔薬を入れるみたいだ。

12時 昼食なし

13時50分 予定時刻より20分遅れて手術の時がきた。2階の手術室までは病棟看護師さんに付き添われ、
点滴を引っ張りながら自分で歩いて行った。手術室に入ると看護師さん2人と、見知らぬ人がいる。
私の主治医は院長先生であったはず(後で知ったが麻酔科の先生で北大教授だった)。
ベッドに仰向けに寝せられてから左腕に血圧計を2つ、胸には心電図用の電極を貼られ、指先にも何かを付けられた。
看護師さんに麻酔をしますので楽にして下さいと言われた時、ドキドキして緊張感がピークに達した。
どれくらい起きていられるか我慢をしていようと思い、目を開けていたが何時の間にか眠ってしまった。


加藤さん起きて下さい!という看護師さんの声で目が醒めた。気がつけばベッドの上。時刻は16時5分。
手術時間は約2時間だった。酸素マスクをつけられたまま2時間安静にして下さいと言われたので、再度眠ってしまった。
18時過ぎ看護師さんに起こされ、恐る恐る身体を起こした。
トイレで用を足してから、うがいをして下さいと言われたので、スッと立ち上がり歩いて見た。
身体は軽やかで、どこも痛くなく快調だった。しかしカガミに映った自分の姿(耳と頭の包帯)は痛々しかった。
でも手術後2時間で歩けるなんて最高だ。夕食(お粥)も普通に食べた。
看護師さんに、取れた真珠腫を3つ見せてもらったが、
目がかすんでいて良く見えなかった。食後はロビーで新聞の夕刊に目をとおし、テレビを見ながら時間をつぶした。
就寝時に痛み止めを薦められるが、我慢できるので断った。手術後、こんなにリラックスできるとは思わなかった。

入院4日目 手術後1日目 平成16年10月8日(金

6時25分起床 体温36.7℃ 
右耳、右頭、右顎、右頚部の痛みで目が覚めた、背中から腰にかけても痛い・・・。
洗面所でウガイをすると血痰が出てきた。

7時30分 朝食にまた牛乳。

今日より10日まで、午前と午後に点滴(抗生剤入りのブドウ糖)を受けることになっている。
14時 回診に呼ばれたので2階処置室に向かった。
今日の担当医は承諾書の説明をしてくれた、副院長の
Y先生だ。
耳の中の骨を少し削りましたが、耳小骨はしっかり残ってました。
再発の心配も少ないでしょう。とニコニコしながら答えてくれた。
そして包帯を取り、耳の中の滲出液を吸引し傷口を消毒してくれた。手術成功!安心して病室へ戻った。
その後、看護師さんに、お風呂が許可されるまで、これで体を拭いてくださいと
ホッカホッカタオルを4枚(体幹用3枚お尻用1枚)貸してくれた。有難い。

16時頃ロビーで読書をしていたら看護師Sさんが、昨日手術で取った真珠腫を再度見せてくれた。
取れたのは6ミリ、5ミリ、3ミリ位のが3つ、希望であればホルマリンにつけ差し上げますよと言う。
なんとお持ち帰りOKだ!

16時30分頃 同部屋に緊急患者が入院した。扁桃腺が痛いらしく、機嫌が悪いみたいだ。
消灯前、耳に鈍痛があったが痛み止めはお断りした。

入院5日目 手術後2日目 平成16年10月9日(土)

午前2時45分 昨日、緊急入院した人のイビキで目が醒める。
ここは耳鼻咽喉科だからイビキも診てもらった方が良いみたい。隣の部屋からも強烈なイビキが聞こえてくる。
右耳が塞がっている私にも聞こえてくるのだから、同部屋の人達は大変だろう。
相部屋では、このようなトラブルはつきものだ。

朝、右耳のガーゼが、血液混じりの滲出液で赤く染まっている。
鈍痛があるが頭、右顎、右頚部の痛みは殆どなし。

10時 今日は土曜日なので、午前に回診、点滴をしながら処置室へ向かった。
担当医は副院長(副院長は2人)のI先生だ。
耳の中を吸引し、傷口を消毒してからガーゼ交換。先生はニコニコしていたが、特別何の会話もなし。
このI先生は、私が初診の時に診てもらった先生だ。その時、CTを見ながら真珠腫性中耳炎ですね。
これは99%手術した方が良いですよ。
この病気で髄膜炎になったり、顔面神経麻痺になったりすることもあるのですよ。
でも、後1年くらいは大丈夫かな。手術するなら早いほうが良いですね。と言った。
手術すると聞こえはどうなりますか?聞こえは悪くなることもあります。
今より良くなることは?私達は良くする為に治療するのです。と言った。
ということで、仕方なく手術をする事に致しました。

14時 体温37℃ 看護師Aさんが、回診でガーゼ交換の時に耳が腫れていたようですが、
手術の影響かな?と頭を傾げていた。
私のこの耳は柔道によって潰れたもので、中耳炎とは関係ありません。
その他レスリングやラグビーなどコンタクトスポーツにも多く見られます。と説明した。22時就寝

入院6日目 手術後3日目 平成16年10月10日(日)

6時30分 起床 体温36.5℃

右耳の痛みは殆ど無し、サーッという耳鳴りはあるが、これは手術前と同じ。
点滴用の針が右前腕に7日より刺しっぱなしになっているが、
周りが少し腫れてきた感じがする。でも今日で点滴は終りなので我慢しよう。

7時30分 朝食にまた牛乳

今日は日曜日とあり、母、義姉、友人など、たくさんお見舞いにきてくれた。有り難い。

14時50分 
回診 担当医は医長のO先生だ。耳の中の吸引とガーゼ交換のみ、
耳の中はまだ湿っていますが、傷口は順調ですと言われた。
今日よりシャワーと洗髪(看護師に耳を塞いで貰いながら)が許可された。でも大事をとって明日に延期しよう。
7時45分
最後の点滴が終了した。4日間に亘り、私の右前腕に点滴用の器具がついていたが、
針が刺さっているのではなく、プラスチックの細い管が刺さっていたのには驚いた。明日からは飲み薬のみ。

8日に緊急入院した人は、今日、退院したが、現在、無職で入院費用の事を気にしていた。

入院7日目 手術後4日目 平成16年10月11日(月)天気 雨

6時45分 起床 今日で入院1週間、サーッという耳鳴りは相変わらずしているが、眩暈、痛みは無し。

窓際のSさんは、時々鼻が痛むらしく辛そうだ。あーッいたッと言っている。

今日は祭日(体育の日)なので、昨日と同様、お見舞いの人達が多い。
私にも友人が数人来てくれた。有り難い。

15時 回診 担当医はいつもニコニコの副院長Y先生だ。
右耳の滲出液の吸引とガーゼ交換のみ。後で味覚の検査をするそうだ。

16時過ぎ、久しぶりに首から下のみのシャワーを浴びた。
洗髪もしますか?と看護師さんに聞かれたが、
バイキンが入ると入院が長引くので、今日も洗髪は無し。
夕食後、テレビを見ながら時間を潰すが、イヤホーンが左耳しか使えなく痛いので、ロビーで見ることにした。
時々右耳がズキズキと痛むのが気になる。
でも就寝時の痛み止めは断る。私が痛み止めを飲まないのには訳があります。
それは、血行を良くするプロスタグランジンという物質の生成を押さえてしまう為、
治りが遅くなると考えているからです。
しかし、痛みが強い時は、それがストレスとなり活性酸素の働きで、粘膜を傷つけてしまうので、
痛み止めを飲んだほうが良いでしょう。これは私の考えです。

入院8日目 手術後5日目 平成16年10月12日(火)

 7時 起床 体温36.8℃ 
良く眠れたが、いつもより体がだるくベッドからスッと起き上がれなかった。
昨日から飲んでいる抗生剤のせいかな?窓際のSさんも、私と同様に、
昨日より同じ抗生剤を飲んでいて、体がだるいと言っている。
看護師さんに聞くと、薬は関係ないですと言う。

今朝も耳漏がガーゼに少しついていた。サーッという耳鳴りはいつもと同じ。痛みは無し。
朝食後、いつものように新聞を読もうとロビーへ行ったが、今日は休刊日だった。残念!

10時 同部屋に新患者さんが入院してきた。60歳位のおじさんだ。
このおじさんはペースメーカーを装着しているので、携帯電話の電源を切ることになった。
しかし、その本人が携帯電話を持っているのは、どーいうことだ!
そして、輸血の場合を考え、看護師さんが一応宗教についても聞いているが、
このおじさんは、オーム?と言ったような気がした。

暫くして携帯がOKになった。

午後、右耳を下にして寝ながら本を読んでいると、
耳の中を何かが流れるような感じになり、その後、猛烈な痒みが襲ってきた。
右耳を押えて何とか我慢をしたが、きっとこれは治癒反応だろう。

16時 回診 今日は少し遅い。担当医は診療部長のH先生だ。昨日の味覚検査は異常ありません。
眩暈しますか?しません。滲出液を吸引し、ガーゼ交換のみ。明日、抜糸するらしい。

18時 夕食 セレクトした五目ソバ定食は美味しかった。

入院9日目 手術後6日目 平成16年10月13日(水)

6時45分 起床 体温36.7℃ 朝食後、いつものように新聞に目を通す。

今日の回診は午前中、北大名誉教授、長老のT先生だ。皆、うさんくさいと言っている。

ベッドに横になり、耳の後ろの切り口を抜糸してもらう。
ガーゼと頭に巻いてある包帯も取ってもらい何となくスッキリした。
耳の中には、まだガーゼがびっしり詰まっているので、右耳の聴力は殆ど無し。
そして中に綿球を詰められる。
眩暈しますか?いいえ。名誉教授は以外としっかりしていた。

昼食後、ロビーのテレビでは、ア・リーグ優勝決定シリーズのヤンキース対レッドソックスの試合をやっている。
松井の先制2塁打が出たッ。それにしてもすることが無く暇だ。就寝前に耳漏防止のため綿球を2つ詰められる。

入院10日目 手術後7日目 平成16年10月14日(木) 天気快晴

6時30分 起床 今朝の当直看護師は、一番元気で明るいSさんだ。
声が大きく、とても寝ていられない。失礼しまーすッと入ってきて、また来まーすッといって出て行く。
昨夜、耳に入れた綿球は2つとも血が付いていて汚れていた。
自宅から持ってきた本は全て読破してしまった。
暇ですることが無くテレビで大リーグ観戦(ヤンキース対レッドソックス)。 

2時 回診 今日の担当医は診療部長(2人いる)のH先生だ。耳の中のガーゼは土曜日に取るそうだ。
17日に退院させて下さいというと、少し考えてから、難しいですねといわれる。
部屋へ帰り、同部屋のT君に耳の後ろの手術痕を見てもらうと、とても綺麗になっていると言う。
T君は扁桃腺の摘出手術で入院中だが、室蘭市の日○記念病院で
看護師をしていて手術痕は見なれているらしい。よかった。

入院11日目 手術後8日目 平成16年10月15日(金)

朝 耳の中の綿球を交感。血の付いた耳漏が出ている。
午前中は院内書で読書(ぼくが医者をやめた理由―永井明著)をする。

2時 回診 今日の担当医はI先生だ。処置室の椅子に座ったが、先生は少し機嫌が悪いみたい。
カルテに退院希望のことが書かれているようだ。17日に退院したいのですか?はい。
うーん、少し早いですね。この手の手術は、もう少し入院が必要なんですけどね。
耳の中のガーゼを取って診ないとわかりませんね。明日は院長の回診ですから・・・・・・
毎日、通院出きるならもしかして・・・・・・ はっきりした答えは無かった。

夕食後、抜糸後の痕を掻いていたら出血し看護師さんに触らないで下さいとしかられる。

入院12日目 手術後9日目 平成16年10月16日(土)

体温36.6℃ 綿球には血の混じった耳漏が付いている。痛み、眩暈無し、耳鳴りは相変わらず。                                

7時30分 朝食に毎日、牛乳がでてくるが、牛乳が体に良くないと言うことを詳しく知りたい方は、
『胃腸は語る』弘文堂、『常識破りの超健康革命』グスコー出版、を参考にして下さい。
私は、この本を読んでから牛乳が嫌いになりました。

9時30分 回診 今日の担当医は院長先生だ。耳の中のガーゼを取る時に、少し痛みがあった。
聞こえはあまり良くない。とりあえず明日の退院を申し込み、許可してもらう。
退院するなら、今日、聴力検査とCT撮影をします。
それから午後にもう一度診察します。と言うことになった。

16時 処置室に私だけ呼ばれる。院長の診察では、CTでは異常なし、
聞こえが悪いのは耳の中に水が溜まっている為で、通気治療をして行くと聞こえるようになります。
退院後は少し通院して下さい、といわれた。やさしい先生だ。

18時 夕食をここで食べるのは最後だ。いつもより美味しく感じる。

入院13日目 手術後10日目 平成16年10月17日(日)

6時30分 起床 体温36.4℃ 

痛み無し、眩暈無し、耳鳴りはいつもの通り、聞こえは悪い、
綿球には血の混じった滲出液がたっぷりついている。少し不安だ!

7時30分、この部屋で、朝食にご飯をセレクトしたのは私だけだった。
今日はいよいよ退院だが、することが無くテレビ観戦で時間をつぶす。

12時 病院での最後の食事だ。さんまの定食、まいうー。

14時30分 回診 担当医はK先生、私よりもかなり若いと思う。30才位かな?
鼻から管を入れて通気治療をしたが、ただ痛いだけだった。
予定より早い退院なので鼓膜はまだ乾いていません。
それに耳の中に水が溜まっているので、毎日でも通院して下さいといわれた。ハイッ! 
私の場合は手術後10日で退院する事になったが、実際は2〜3週間の入院が必要だそうだ。
濡れている鼓膜にはバイキンが着きやすいから、それが乾くまでは入院をしていた方が良いみたいだ。
回診を終え病室に戻ると、T君(看護師)も退院の用意をしている。
T君は自分が入院し、看護師として、患者さんの気持ちが良くわかったと言っていた。
きっと良い看護師になるだろう。
Sさんも退院が決まり、奥さんが迎えに来ていた。お大事にどうぞといって別れた。                    

退院7日目 通院5回目 平成16年10月24日(日)

今日まで、毎日ではないが約束どおり、通院しています。
この麻生病院は年中無休で、仕事をしている人々には大助かり、
日曜日にもかかわらず、朝から超満員だ。8時40分(診療開始9時)に受け付けをしたが、なんと63番目、
聴力検査を行ったせいもあり、治療が終り会計を済ませたのが11時45分だった。
治療内容は耳の中の掃除と鼻からの通気治療のみ。
症状として耳漏(少し血が混じる)がまだ少しあるが、聞こえは手術前とほぼ同じに回復した。
担当医は院長先生だったが順調なので週に2回の通院で良いと言われた。

退院15日目 通院8回目 平成16年11月1日(月)

今日の受け付け時間は19時45分。この病院は、平日20時まで受け付けをしているので、少し遅れても安心だ。
今日の担当医は診療部長のH先生、治療内容は耳の中の掃除だけ、鼻からの通気治療はしませんでした。
朝、綿球に耳漏が少し着いているのが気になるが、血は混じっていない。
点耳薬と抗生剤、胃薬、膿をとる薬、消炎剤はまだ処方されている。週に1回の治療で良いと言われた。

退院21日目 通院9回目 平成16年11月8日(日)

今日は午後の診療。担当医は副院長のY先生だ。
治療内容は耳の中の掃除だけ(注射器の中に洗浄液を入れて耳の中を洗う)。
特別、会話は無し。朝の耳漏は、まだあるが、いつもの薬から抗生剤が無くなっていた。
少しは良くなっているということかな。

手術から1カ月が過ぎたが、もう少し通院が必要なようだ。
何時まで続くのかこの闘病生活、不安な毎日が続きそうだ。