ひじりさんの真珠腫日記

【始めに】

およそ13年放置していた真珠腫性中耳炎について、私の闘病記録を書かせていただきます。

おそらく私ほど長期間真珠腫を育ててしまった方はなかなかいないのではないのでしょうか。
真珠腫性中耳炎は患った方が少なくないにも関わらず意外に認知度の低い病気です。
また目眩や難聴・耳だれといった分かりやすい症状があるものの、
激しい痛み が伴うわけではないので、処置をつい先延ばしにしてしまう方もいるかもしれません。
しかし放置すればこんなに大変な事になるという事を、
私の体験を通して 参考にしていただければと思います。

31歳男性 愛知県在住
2011年3月に名古屋市立大学病院にて手術を受け、26日間入院。
術式は『経中頭蓋窩法および茎乳突洞法真珠腫摘出術』。
現在は定期検診を受けて経過観察しつつ、1年後に聴力の再建手術を待っている段階です。

【幼少期】

11歳の頃に中耳炎が発症。以後実家近くの耳鼻科に通院するが、完治させないまま治療を中断、
悪化しては通院を繰り返し慢性化する。

【真珠腫発症】

18歳の夏頃、激しい目眩に襲われ市の総合病院へ。
当初は中耳炎からきた目眩とは思っておらず、内科・眼科・耳鼻科とたらい回しに。
そこでおそらくCTを撮り眼震も確認、耳小骨が無くなっていると先生同士が話していたのは聞いたが、
真珠腫についての詳しい説明はされず。
ここできちんと説明があれば、症状も初期の段階に留まったのではと悔やまれる。

数日間は目眩で寝たきりだった(がなぜか学校には出席した記憶がある…)が、
目眩も収まったためまた放置してしまう。私の悪い癖である。

その後は耳から悪臭の耳だれが頻繁に出るようになるものの、こよりにしたティッシュを突っ込んでは
耳だれを取り、また慢性中耳炎だろうと深く考えず、当時処方され余っていた点耳薬(タリビット)を投薬、
耳だれが収まったら放置を繰り返す。

耳だれも27歳を過ぎた辺りからはあまり出なくなる。

【更正病院編】

<2010年11月20日>

31歳の夏頃からそれまで以上に右耳の難聴を自覚する。
もともと幼少より右耳は軽度の難聴であったが、日常生活には特に問題なく過ごしていた。
が今回は会話が聞き取りにくくストレスを感じるほどになったため、市の総合病院で診てもらう事に。

すると右耳の奥が耳垢で完全に詰まっている状態だと言われる。
とりあえず可能な範囲で取るが、癒着もあるため耳水を処方され、
次回の検診前日に点耳して柔らかくしてから再度除去を試みると指示を受ける。
この時初めて自分の耳の中をカメラで見たが、あまりの汚さに驚いた。

この日担当した医師から初めて『真珠腫性中耳炎』という病名を聞かされる。
CTを撮影しなければまだ確定は出来ないが、おそらくそうであろうと申告される。

自宅へ帰りさっそく真珠腫性中耳炎について検索すると、目眩・耳だれなどことごとく症状が一致、
素人の私が見ても疑いようがなかった。
味覚障害や顔面麻痺こそ出ていないものの、
このまま放置すれば髄膜炎を発症し、いつかは死に至ってしまう。
さすがの私もようやく完治に向けて決意を固めたのであった。

[診察費明細]
初診              270点
医学管理等          10点
投薬                57点
処置              100点
合計点数          437点
自己負担額      1,310円
保険外併用療養費 3,000円
容器代              50円
合計金額        4,360円


<2010年12月4日>

地元総合病院での2度目の検診。前日から耳水を挿して病院へ。
まだまだ癒着で取り切れず、また耳水を処方される。どれだけ頑固なのか…
時間に余裕があったのでついでにCTも撮影してもらう。

[診療費明細]
再診              70点
医学管理等        10点
検査            350点
画像診断      1,540点
投薬              57点
合計点数      2,027点
自己負担額    6,080円
容器代            50円
合計金額      6,130円


<2010年12月18日>

3度目にしてようやく鼓膜が現れ、耳垢の除去が完了。聴力検査をするがやはり左に比べて右は劣る。

この時この病院で真珠腫性中耳炎の執刀が出来る耳鼻科部長と面談したが、
CT画像で見る限り症状はかなり進行しており、真珠腫が脳の手前まで来ているだろうと言われた。
またこの病院での手術は難しいと言われ、名古屋市立大学病院にかかるようにと薦められる。

仕事がすぐに休める時期ではなかったため、会社と相談してから改めて日程を決める事にする。

[診療費明細]
再診              70点
合計点数          70点
自己負担額      210円
合計金額        210円


<2011年1月15日>

年も明けなんとか仕事の折り合いも付きそうなので名市大病院での初診を19日に決定。

名市大病院・村上教授宛の紹介状と聴力検査・CT画像の資料を用意してもらい、
名市大の予約をお願いする。

[診療費明細]
再診              70点
医学管理等      250点
合計点数        320点
自己負担額      960円
合計金額        960円

【名市大病院編】

<2011年1月19日>

11時に予約していたものの、初診のため2時間ほど待たされる事に。
まず別の診察室でひと通りの問診を受け、その後教授の診察を受けた。

やはり症状は良くないらしく、持参したCT画像を見て『う〜む、酷いねぇ』が第一声であった。
まずカメラで鼓膜周辺の写真を撮影、それから針や鉗子を使って中の掃除をしてもらう。
若干の目眩と共にズルリと何か白い物が引きずり出される。そしてもう1度カメラを入れて撮影。
その画像を見ると鼓膜の上部に見事に穴が開いており、白いものが詰まっているのが確認出来た。
耳に水を流して洗浄、少し目眩が起き たので収まるまで別室で寝かされる。

30分ほど休憩してからまた教授の元へ。手術日の話になり、
限度額適用認定制度を利用するつもりなので月初を希望すると伝える。
私の場合範囲も広く、脳外科医と連携を組んでの手術となるため脳外科と相談、
結果3月7日に手術日が決定する。
待合室にて看護 師からひと通りの入院の説明を受けた後、
CTを撮影・次回のMRI撮影の予約をしてもらって終了した。

[診療費明細]
初診            270点
検査            350点
画像診断      1,540点
合計点数      2,160点
自己負担額    6,480円
合計金額      6,480円


<2011年2月23日>

今回は12時に予約していたのだが、教授の手がちょうど空いていたのか、
再来機で受付を済ますとすぐ中に呼ばれる。
前回撮影したCT画像を元に改めて症状の説明を受ける。
私の場合、まず中耳は完全に真珠腫に覆われているとの事。そして蝸牛の奥にも怪しい影があるが、
CTで見る限り真珠腫か膿のような液体かまだ判別しないそうだ。

MRI撮影を14時に予約していたが時間に余裕があったので、
ついでに尿・血液・肺活量検査・レントゲン撮影を済ます。
肺活量検査ではもう息を全部吐き出したところへさらに『もう一息!』と言われて、
顔を真っ赤にしながら苦しんだ。

MRI撮影は私は今回が初体験だ。小説で読んだ知識からかなり音がうるさいとは聞いていたが、
実際に体験してみると確かにやかましかった。
まず金属類を全て外し下着の上から専用の着衣を着る。
その後CTと同じような台に寝かされ頭部の位置をセット、防音用にヘッドフォンを付けられる。
しかし機械が動き出すとヘッドフォンをしているにも関わらず動作音がうるさかった。
『ガンガン』というよりは『ウィーン』『ゴォォォ』と言った感じか。
こんな状態が30分も続くのかよ…と思ったが、前日仕事が夜勤でやや睡眠不足だったため、
後半は居眠りをしており気付いたら撮影が終了していた。その後私服に着替えて自宅へ戻る。

この日の夕方に病院から入院日の案内で電話が入り、入院日が3月3日14時に決定する。

[診療費明細]
再診              70点
検査          1,388点
画像診断      2,550点
合計点数      4,008点
自己負担額    12,020円
合計点数      12,020円


<2011年2月24日>

会社の総務に保険証と共に限度額適用認定証の申請書を提出した。
がおそらく入院までには間に合わないだろうと思い、実家に郵送してもらうようにお願いする。
もう少し早く手続きするべきだった。
ちなみに国民健康保健の場合は市役所の国保年金課で申請するようだ。

<2011年2月26日>

今日から手術・入院に向けて休業期間に入る。
手術日が決定した時点で会社にも病気について話をしてあり、仕事の引き継ぎも完了。
また28日の月曜日に有給休暇を申請した事で、土曜日から数えて3日間の連続した待機期間が成立、
これで3月1日からの傷病手当が可能なはずである。

<2011年3月3日>

1人暮らしのため冷蔵庫の食材は全て調整して食べ尽くす。ゴミも可能な限り処分。
ガスの元栓を閉め、不必要なブレーカーを落として部屋を出る。しばらくはこの部屋ともお別れだ。

入院中後々必要になると思われるストック品を実家へ残し、
荷物を持って付き添い役の妹と電車で病院へ向かう。


【手術編】

<2011年3月3日>

ネットでの情報を参考に荷物をまとめたのだが、
ボストンバッグ1つでは収まらず思ったより大荷物になってしまった。
まあ1ヶ月も入院となれば仕方ないか。

病院の入院受付で手続きを済ませ指定された病棟へ向かう。部屋へ案内され荷物を置いた後、
別室で看護主任の面談を受ける。身体的な質問から家族構成・食の好みなどかなり細かく質問された。
その後係の人に連れられて病棟内を案内され、入院中の規則などの説明を受ける。

しばらく部屋で待機していると、今度は執刀医に面談室へ呼ばれ、
術式についての図説と文書で説明をされ同意書に署名をする。
また万が一に備えて輸血についても説明され同意書を書く。が私の場合結局輸血は行われなかった。
術式については図やCT画像を見ながら詳しく説明してもらった。
今回はまず右耳の後ろを切開して中耳の真珠腫を摘出、
また蝸牛奥にあるものはMRIでもはっきりしなかったが、結局は手を入れなければならないため、
側頭部 を開頭し脳を持ち上げてアプローチするとの事。
開けてみて真珠腫であれば摘出、膿であれば吸引して掃除する予定だそうだ。
さらに真珠腫の範囲が広いため聴力再建は今回は行わず、以後経過を見て再手術をする方針である。
術後の合併症についても口頭と文書で詳しく説明してもらえた。

続いて麻酔医が来てパンフレットで麻酔の特性・後遺症について説明、ここでも同意書を書いた。

<2011年3月4日>

今日は血液検査と味覚検査を受ける。
味覚検査は初めてだ。微量の電流を流した金属端子を、
舌の先やサイド・上あごの奥のそれぞれ左右に当てて反応を調べる。
味覚に関しては特に自覚はなかったが、左側に比べて右側はやや劣る結果が出た。

<2011年3月5日>

今日は友人の結婚式に出席するため5時に起床。身支度を整えて部屋を出る。
何とか外泊許可が取れて良かった。体調だけは崩さないように気をつけなければ。

<2011年3月6日>

手術に備えて髪の毛を全て2mmに刈り込む。
手術の際にメスを入れる部分だけ剃るので短くするようにとの指示があったが、
そもそも以前から坊主頭だったし、当分は頭も洗えないので問題ない。

なんだかんだと実家でダラダラしてしまったが、何とか夕方には病院へ戻る。
今回の手術は朝8時30分から全身麻酔下で行うため、
絶飲は午前0時・絶食は今日の20時からと言われる。
21時に排便用に下剤(プルゼニド)を処方されるが一向に便が出る気配は無し。
手術に備えて少し早めに寝る。

<2011年3月7日>



予定通り6時に起床。手術前までに便が出なければ浣腸をすると言われていたが、
なんとか排便出来て回避することが出来た。

術後は個室に移る予定だったので荷物をまとめ、手術に付き添ってもらうため妹も到着。準備は整った。
手術は長時間になる事が予想されており肺塞栓症を予防す るため、
コンプリネットという名称の弾性ストッキングを着用する。
予定時間になり看護師に付き添われて手術室へ向かう。

これから人生初の手術なのだが、事前に自分なりに真珠腫性中耳炎についていろいろ調べ、
また過去に手術を受けた方のブログを拝見し、担当医師からも説明を受けた。
十分納得した上で挑んでいるので、全く緊張していなかったのを覚えている。
しかし付き添ってくれた妹に術後聞いたところ、彼女はかなり不安で一杯だったらしい。
手術が全身麻酔であること・長時間の手術になるであろうこと・
症状が進行しており開頭して手術をすることなど、
不安要素が揃い過ぎていて、口には出さなかったが気が気でなかったと言っていた。

一旦待合室で待たされた後名前を呼ばれ中に入る。最終的な本人確認をしてから歩いて手術室へ。
帽子を被り上半身裸になり手術台に寝かされる。
酸素を吸入しながら心電図用の電極・血圧計・点滴の針が挿入される。
私の心音が手術室に響き、『これが無影灯 か〜』と眺めているうちに腕から麻酔薬が投入。
気持ち良く落ちるとかではなく、少し背中側が痺れてきたなぁ…と思った瞬間意識を失っていた。

気が付くとさっきまでの無影灯は見当たらず、普通の白い天井が見える。
事前の医師からの説明で、手術後麻酔から覚めて容態が安定するまでは
リカバリールーム で待機すると聞いていたので、ああここがそうかと納得する。
横に人がいたので時間を尋ねると17時30分だと言われた。
喉が渇いたので水が欲しいと伝える が、麻酔が完全に切れるまで飲ませられないと断られる。

ぼんやりしているといつの間にか耳鼻科の看護師が来ていた。
事前に用意していた寝巻とT字帯に着替えさせられる。

この時上腕二頭筋がなぜか筋肉痛になっており、ひたすら腕が痛いと訴えていた。
後日医師に尋ねたら、おそらく手術の際に腕をベルトで身体に固定しており、
また麻酔下であっても身体が反応して筋肉が硬直したためだろうと言われた。
ベッドに寝かされたまま病棟に移動する。

まだ麻酔が残っているものの意識は覚醒しているため、業務用エレベーターを使った事や、
その際先に同乗していた他の医師に乗り降りを手伝ってもらい、
私自身がお礼を言ったりしたのも記憶にある。

部屋へ戻ると人影が2つ。話し掛けると妹と弟だった。どうせなのでと弟に頼んで、
手術直後の状態を携帯で写真を撮ってもらう。
この直後顔面に携帯を落とされたのもちゃんと覚えている。

少し眠り次に気付くと母が心配そうに顔を覗き込んでいた。後ろには姉と甥っ子2人もいた。
会話はうまく出来なかったが順番に手を握る。
少し経って執刀してくれた3人の先生が部屋に来る。蝸牛の奥は膿だったそうだ。
その後姉を残して家族は病院の食堂へ。寝ては起きてを繰り返しながらも、姉と少し会話をする。

21時過ぎには麻酔も切れたのかはっきり覚醒する。家族はつい先程帰ったようだ。
とりあえず手術前に激励してくれた友人達に手術完了のメールをする。

夜は1時間ごとに看護師が点滴・体温・血圧をチェックしにくるので
その都度目は覚めたがさすがに疲れていたのだろう、思ったよりは寝れた。
しかし妹はレンタルした固い簡易ベッドにも関わらず朝までぐっすり眠っていた。

【入院編】

<2011年3月8日>





術後という事もありやはり熱がやや高め、38℃ほど。アイスノンを首と脇に当ててもらう。
今日はベッドを30度まで起こしていいと言われる。術後1番心配だった目眩は起きず安心する。
許可が降りたので水差しに水を入れてもらい、少しずつ口に含む。まだ一口ずつしか飲めない。

ベッドのまま移動し、CTとレントゲンを撮影。

昼から食事が食べれるようになる。が私の場合蝸牛の奥側まで手を入れるため側頭部を開頭しており、
その際にこめかみの筋肉を切断・縫合した事もあり、思うように口が開けられない。
用意してきたスプーンでは大きくてなかなか思うように食べられない。

CTの結果、特に異常もなかったので、頭に通してあったドレーンを抜いて1針縫う。
麻酔無しのためかなり痛かった。
昼すぎに熱いおしぼりで清拭をしてもらう。夜中に汗をかいていたのでスッキリした。

昨日の朝からずっと付き添ってくれた妹が一旦帰宅し、代わりに姉が来る。
夕飯はお粥から普通の白米に変更してもらったが、噛めない。
まだ早過ぎたようで、結局お粥に逆戻りする。

しかしまさかこの歳で介護してもらう事になるなんて予想もしてなかった。
しかし現状1人では何も出来ないので素直にお世話になる。

<2011年3月9日>

今日は60度まで起き上がる。起き上がれる事が嬉しくそのまま朝食を全部食べ切るが、
まだ無理があったようでその後熱が上がる。
アイスノンと座薬を入れても らい、ただひたすら大人しくしていた。
昼食と夕食はほとんど手が付けられず、かわりに差し入れのヨーグルトを食べた。
また喉にできものが出来たような違和 感有り。
担当医に相談するとおそらく手術の際の呼吸器の挿入によるものと思われると言われた。
日中熱が下がらなかったため、今日は清拭は無し。

耳を覆っていたガーゼが取れたので耳たぶを触ってみるが、
やはり他の経験者のブログにもあったように、
耳の上側半分の感覚が鈍い。痺れた足を触っているような感じだ。

<2011年3月10日>




薬が効いたのか少し熱も下がる。ようやく37.5℃を切るようにはなってきた、
がまだ微熱は続いている。

午前中に清拭してもらい、ついでに立ち上がってみる。最初は少し足裏が痺れる感覚。
ふらつきや目眩も無く、個室のトイレまで行くのも問題ないので尿管も外す事に。
抜く瞬間は痛いと言うよりは『熱い』感じだった。尿管が予想以上に太かった事もあり、
結局管の接合部分は見ないままである。

<2011年3月11日>




尿管も取れて少しずつ自分で動くようになる。が頭痛が酷くすぐ疲れてしまう。

私の場合、開頭もしているため同時に脊椎ドレナージを行った。腰の上辺りの背骨に針を刺し、
術後脳内の髄圧を調整するのだが、立ち上がった時にこの針跡に髄液が漏れ、
その分脳内の圧力が低下して頭痛が起きるらしい。
主に目の奥を中心に頭の右側が割れるような痛みに襲われる。
ベッドに横になって安静にしている とすぐに落ち着くのだが、起き上がるとまた痛くなる。
『硬膜穿刺後頭痛』と呼ばれる症状のようで、術後出来るだけ水分を多く摂ると予防になるらしい。
しば らくはこの頭痛に悩まされる事になる。

耳の後ろの傷口もずっと滲み出ていた血も止まりガーゼが外れる。

この日は頭痛のため食欲も湧かず、朝昼とほとんど手を付けられず。
しかし食事が食べられなければ栄養剤の点滴も外れない。
お粥や術後食にも飽きてしまったので通常の食事メニューに変えてもらえるようにお願いする。

夜はかなり体調も良くなり、またいつまでも点滴に頼る訳にもいかないので、
気合いを入れて夕食を食べ切る。
喉の違和感も無くなり、水分も連続して飲み込めるようになってきた。

ちなみにこの日昼食後ぼんやりしていると部屋が揺れ出す。
この身動き出来ない状態でどうやって逃げるか考えているうちに収まり、震源地が宮城だと分かる。
これが東日本大震災の瞬間だった。

<2011年3月12日>

頭痛への対応にも少し慣れ、起きて休んでを繰り返しながら少しずつ身体を動かす。

昼過ぎに空手の友人が見舞いに来てくれる。ついでに病棟内に限り移動OKの許可ももらい、
久しぶりに部屋から出て病棟を1周する。元気な姿を見せられてよかった。

朝昼の食事も完食し、昨日の夜から3食連続して全部食べ切った事で、栄養剤の点滴が外れる。
気のせいか経口で食事を摂る事で身体も元気になってきているようだ。

<2011年3月13日>

熱もかなり安定するようになり、37℃を越えることはなくなってきた。

午前中に母と姉・甥っ子が、午後には高校時代の友人が見舞いにくる。

右目から涙が出ない。
ドライアイというほどではないが、やや乾き気味であり欠伸をしても涙は出てこない。
ネットで調べ医師にも確認すると、顔面神経が涙の分泌も一部関係しているためだと言われる。
一時的なものであってほしい。

夜には抗生剤の点滴も終了し、腕から針が完全に抜ける。ようやく身軽になれた。

<2011年3月14日>

まだ頭痛が続いている。食事の際も起き上がって半分食べてまた横になり、
痛みが落ち着いたらまた起き上がってといった感じである。
およそ1週間で収まるとは言われているが、もうしばらくかかりそうだ。

午前中看護師にシャンプーしてもらう。傷のある右側はラップとテープで水がかからないようにして、
頭の左側だけシャンプーしてもらう。1週間ぶりだったのでかなりすっかりした。

今日から5日間は点滴の抗生剤の変わりに、
毎食後フロモックスという錠剤を服用するよう指示を受ける。

<2011年3月15日>

父が見舞いに来る。その後入れ替わりで母も来る。

肩や脇腹に汗疹が目立つようになってきた。
ほぼ毎日清拭しているとはいえ、さすがに1週間以上風呂に入れずは辛いものだ。

<2011年3月16日>

昼過ぎに大部屋へ移動。
その後教授の回診。
ようやく入浴許可が下りる。久しぶりに入浴出来て嬉しい。

移動制限もなくなっても院内フリーになり、エレベーターも使って院内を少し歩く。
夕方無理して動いたのが祟ったのか、頭痛がかなり酷くなる。
手短に夕食を済ませ痛み止めを飲んで19時に就寝。

<2011年3月17日>

薬も効いてしっかり寝たからか頭痛も収まった。夜も少しずつ熟睡出来るようになっている。
10日ぶりにきちんと洗顔する。ごわごわしていた額や鼻も綺麗になった。

耳の中のガーゼを毎日交換してもらうのだが、まだ腫れているのと、
骨がないから押さえ付けないといけないため、少し力を入れられるのだがこれがかなり痛い。
脂汗が出て顔も青くなり、処置が終わっても5分ぐらいは何もする気になれない。

<2011年3月18日>

今日もまたシャンプーをしてもらう。
14時頃耳から血が垂れてくる。ティッシュで拭くとだいぶ色が黒ずんだ物だった。
おそらく術後耳の中に溜まっていたものが排出されて出て来たのだろう。
ガーゼ交換のついでに耳の中を吸引してもらう。

そういえば今日は例の頭痛もそれほど酷くはなかった。
ようやくドレナージの針跡も塞がってきたか。このまま回復してほしい。

<2011年3月19日>





また空手の友人が見舞いに来てくれた。今日は食堂で談笑する。

昼過ぎに耳の中のガーゼ交換。だいぶ腫れも引いてきたのか、以前ほどは痛くなくなってきた。
まだ血は少し垂れているようだ。
ついでに頭部の傷を留めているホチキスとドレーン跡の1針も抜く。
麻酔無しでの処置だったが、予想していたよりは痛くなかった。傷口は綺麗にくっついているらしい。
がまだ水が浸みるのが怖いのと、耳の傷はテープが貼ってあるので自分では洗う気になれない。

<2011年3月20日>

階段を使ってのリハビリ開始。3階分昇っただけで息が上がる。
さすがに2週間ベッドの上だと体力もかなり落ちているようだ。

変色した血垂れも止まる。もうすぐ耳の中のガーゼもいらなくなるそうだ。

<2011年3月21日>

久しぶりに足が筋肉痛。朝階段で同じように運動している患者と遭遇、軽く挨拶を交わす。

昼過ぎにガーゼ交換。真珠腫の大きさについて聞いてみると、
大きめのゴムボール程の大きさはあったとか。
鼓膜上部の真珠腫が侵入する際に開いた穴は、私自身の筋膜で塞いであるそうだ。
左半分だけ自分でシャンプーする。

<2011年3月22日>

昼食後階段を昇って運動していると、昨日と同じ入院患者とまた遭遇する。

ガーゼ交換。ようやく耳の中のガーゼが取れ、これからは朝夕の1日2回、タリビットを点耳していく。

今日は頭の右側も洗ってみた。と言っても泡をつけて撫でただけだが。
まだ瘡蓋が固まってはいるが、手術の際の消毒液や血が垂れた跡が取れて、幾分かきれいに見える。

風呂上がりに綿棒で右耳たぶを掃除していたら何やらグポグポと変な音が。
あちこち触ってみたら、耳たぶで外耳道の上にある窪みを押すと音がすることがわかる。
少し強く押してみると中に溜まっていた古い血が耳の穴から出てきた。
とりあえず主治医に報告をしたが特に気にしなくて大丈夫との事。

<2011年3月23日>

午後から聴力・味覚検査をする。
聴力は手術前に比べて若干聞こえが良くなったような気がする。
しかし真珠腫によって耳小骨が破壊され、その真珠腫も取り除かれた今、
どのようにして音が伝達されるのか…不思議である。
味覚はやはり術前と同様に右側がやや鈍い。

その後水曜恒例の教授回診。手術の時に一部欠損していた鼓膜を塞いで、
癒着しないようにアクリル板を2枚仕込んであったらしいのだが、
それが剥がれていたようで1枚抜かれる。特に問題はないようだ。
そして早ければ今週末にも退院出来ると言われる。
当初は1ヶ月の予定だったのだが、かなり早く退院出来そうだ。

<2011年3月24日>




耳の後ろのテープ交換。ついでに瘡蓋も除去。傷も綺麗に塞がっているらしい。
こちらの傷は溶ける糸で縫ってあるので、抜糸の必要もないのが有り難い。
耳の中はまだ染み出ているようだ。また真珠腫で開いた穴に自身の筋膜を貼ってあるが、
色が悪くそのうち剥がれてしまうかもしれない。がまた来年の手術で貼り直すので問題ないとの事。
耳たぶの方はもう音も血が出てくる事もなくなった。
しかし涙だけは右目からまだ出ないままだ。

退院目前のためついでに先生にいくつか気になっていた事を質問する。
頭蓋骨はチタンプレートで覆い、周りは自骨の骨粉を糊に混ぜて接合してある。
耳小骨も真珠腫もない状態だが、
音の伝達方法は骨伝導&耳に入れたプレートがうまく震えて聞こえてるのかも。
術前に説明の無く額に出来ていた傷は、手術の際に頭部を固定するためにピンを刺した跡。
他に頭部に2ヶ所あるそうだ。
日常生活では、鼻すすり・鼻かみは弱くならOK、飛行機や潜水は禁止。
エレベーターや軽い登山や耳栓をしての水泳、耳抜きはしても大丈夫と言われる。

<2011年3月25日>

事務員に医療保険の診断書について相談・申請手続をする。

階段でのリハビリをレベルアップさせ、今日は1階から18階まで昇り切る。
リハビリを開始した20日と比べるとかなり動けるようになり、身体も慣れてきたようだ。

主治医に耳を診てもらい、次回の定期検診の予約を取る。
入院中お世話になった看護師にも退院の挨拶をする。

<2011年3月26日>

いつも通り朝食を済ませ、最後の階段リハビリ。1階から18階までも無理せず登れるようになった。
17階で例の患者と最後の対面。彼も今日退院出来るらしく、互いに『お大事に』と握手を交わす。

荷物をまとめて私服に着替える。3週間もお世話になるとやはり少し寂しく感じる。

主治医に最後に耳の中をチェックしてもらう、お礼と挨拶をした。
看護師から追加のタリビットと痛み止めのロキソニンなど入院前に用意していて
余っていた処方薬を渡される。
食事が取れるようになってからは回復も早く、またもともと薬に頼る方ではないので、
けっこう余ったようだ。

迎えまで時間に余裕があったので先に入院費の支払いを済ます。

今回は難しい手術だった事もあり、やはりかなりの金額となった。
最後に看護師に病室のチェックをしてもらい、退院した。

[入院費用明細]
入院科等      6,712点
医学管理等      755点
検査            420点
画像診断        235点
投薬              70点
手術        105,697点
麻酔          15,962点
入院包括      51,908点
合計        181,759点
総額      1,817,590円

高額療養費制度利用により
80,100+(1,817,590-267,000)×1%=95,606円

特別室使用料  73,500円
食事療養費    38,860円(58食×670円)
食費負担額    15,340円

合計金額
95,606+73,500+15,340=184,446円

【療養編】

<2011年3月27日>

朝起き上がった瞬間耳だれが垂れて来た。色は黄色く無臭。
とりあえずタリビットを点耳して様子をみるが、退院1日目にしてこれでは少し不安になる。
病棟と一般の生活とではやはり身体への負担やストレスも違うのか、
夜になるとかなり疲れも感じ、21時を回ると座ってTVを観るのも辛くて横になったりを繰り返す。

<2011年3月28日>

今日も耳だれが出ている。引き続き経過観測。

<2011年3月29日>

少し耳に痛みを感じる。生活に支障はない程度だが、念のためロキソニンを服用する。

<2011年3月30日>

耳だれが出なくなった。だがまだ油断はしないでおこう。

<2011年3月31日>

また耳が少し痛いのでロキソニンを服用。

<2011年4月1日>

タリビットを点耳すると鼻に抜けてくる。また鼻呼吸をすると耳からも空気が抜けているのを感じる。
真珠腫性中耳炎は耳の中が乾燥するのが第一なので、出来るだけ鼻呼吸するようにしよう。

<2011年4月3日>

頭の傷痕も瘡蓋がほとんどなくなって綺麗になってきた。





<2011年4月4日>

会社の総務から連絡があり、午前中に約1ヶ月ぶりに顔を出す。
組合からの見舞金と傷病手当金請求書を受け取る。

<2011年4月6日>

退院してから初の受診。外来受付で傷病手当金請求書の記入を依頼する。
待合で30分ほど待たされたあと中へ。
耳の中はだいぶ乾燥してきているようだ。少し吸引と掃除をした後、
針と鉗子を使って手術の際に鼓膜周辺に仕込んだ2枚目のアクリル板を取り出される。
チラッと横目で確認したら0.5cm×1cmぐらいの大きさだった。意外に大きかった。
追加でタリビットを2本・リンデロン点耳薬を2瓶処方される。
退院前に処方されたタリビットがまだ半分ほど残っているので、なくなり次第こちらに移行する。
耳の後ろに関してはノータッチ。退院前に貼ってもらったテープもそのままだ。
次回の受診を1ヶ月後に予約して終了する。
夜タリビットを点耳した後耳から出てきた液を見たらやや赤くなっていた。
アクリル板を剥がした事で少し出血しているようだ。痛みは無い。

[診療費明細]
再診              70点
投薬              68点
合計点数        138点
自己負担額      410円
合計金額        410円




<2011年4月9日>

朝起きてタリビットを点耳しようと耳に詰めてあった綿球を取ったら、耳だれで黄色くなっていた。
アクリル板を抜いた後の傷が炎症を起こしているのだろうか?

<2011年4月11日>

前回の診察で処方された薬を地元の薬局へ取りに行く。
リンデロンではなくジェネリック医薬品のサンベタゾンを処方してもらう。

調剤技術料        85点
薬学管理料        45点
薬剤料          153点
合計点数        283点
自己負担額      850円




<2011年4月12日>

ここ数日耳だれが続いている。臭いはなく色は茶色、水気は多い。

<2011年4月19日>

いまだに耳だれが出続けている。毎日朝晩の2回指示された通りに点耳をしているのだが…。

<2011年4月26日>

やはり耳だれは止まらず。起きている時は何ともないが、
朝起きた後耳に詰めた綿球を取ると汚れている。
今日は朝から昼過ぎまで頭の傷も不定期に痛んだ。
映画に感動して泣いたら右目からも少しだけだが涙が流れた。

<2011年4月27日>

右の耳たぶを触ると、術後に比べてかなり感覚も戻って来たような気がする。
昨日の涙といい少しずつ麻痺が回復しつつあるのかも知れない。
夜になって鼓膜付近に刺すような痛みを感じる。

<2011年4月30日>

タリビットを使い切る。
サンベタゾンはまだ少し残っているので、このまま点耳を継続する。

<2011年5月1日>

耳の後ろに貼っていたテープが剥がれる。
傷痕はちょっと見ただけでは切ったようには見えないぐらいに綺麗だ。



<2011年5月4日>

サンベタゾンも使い切った。が依然耳だれは出ている。

<2011年5月10日>

退院後2回目の術後検診だったが、少しだけ耳の中を吸引して診察終了。
特に問題ないようだ。次回はまた1ヶ月後の予定。

[診療費明細]
再診              70点
医学管理等      100点
合計点数        170点
自己負担額      510円
生命保険診断書 3,670円
合計金額      4,180円


<2011年5月11日>
医療保険の書類を申請する。その際主治医の記入欄を確認すると、
病名に『真珠腫性中耳炎及びコレステリン肉芽腫』とあった。
おそらく後者が耳の奥にあった袋状の膿のようなものだろう。

<2011年5月12日>
会社に3月分の傷病手当金の申請を提出する。

<2011年5月17日>
医療保険の振込みが完了。

[共済金内訳]
入院共済金(24日×4,500円) 108,000円
手術共済金 50,000円
合計金額 158,000円


<2011年6月6日>
3月分の傷病手当金の振込みが完了。

[傷病手当金内訳]
2011年3月4日から3月31日まで28日間×7,113円
合計金額 199,164円




<2011年6月8日>
耳に刺すような痛みが。ここまで痛んだのは術後初めてだ。
今週から本格的に自転車通勤を再開させた事で、身体に負担がかかっているのかも。

<2011年6月14日>
3回目の術後検診。耳の中を吸引して写真を撮る。
術前に撮影した画像と見比べると、真珠腫によって鼓膜上部に開いていた穴が綺麗に塞がっていた。
綿棒でリンデロン軟膏を塗布して終了。次回は3ヶ月後、CT撮影と聴力検査も行う予定だ。

[診療費明細]
再診料 70点
医学管理等 100点
合計点数 170点
合計金額 510円


<2011年6月16日>
会社に4月傷病手当金の申請を提出する。
4月分については事前に主治医に相談したところ、退院から1ヶ月間自宅療養期間として認めてくれる事になった。
震災の影響で仕事に復帰できなかったこともあり、経済的に大変助かった。

<2011年6月25日>
気温が上がってよく汗をかくようになったからか、最近頭の傷跡が引きつる。

<2011年7月6日>
4月分の傷病手当金の振込みが完了。

[傷病手当金内訳]
2011年4月1日から4月26日まで26日間×7,113円
合計金額 184,938円


<2011年8月7日>
手術から5ヶ月、頭の傷も最初はミミズ腫れのように盛り上がっていたが、最近はかなり綺麗になってきた。
ただ疲れが貯まってくると右耳に刺すような痛みが起こることもある。

<2011年9月13日>
手術から半年経過後の検診。まず聴力検査を受け、その後教授の診察へ。
いつものように耳の中をピンセットや吸引で軽く掃除。
なにやら耳骨のような物が見えてはいるが、肉に包まれているのか簡単には取れず。
次回の手術で処理すればいいと言われそのまま放置する事に。
ついでに手術日の打診をされたが仕事の都合もあったため、日時の決定はもうしばらく先送りさせてもらう。
次回は年明け1月に診察予定。

[診療費明細]
再診料 70点
検査 350点
合計点数 420点
合計金額 1260円


<2012年1月17日>
いつものように軽く掃除・吸引してから耳の中をカメラで撮影。
すると非常に小さい物ではあるが、新しい真珠種が出来ていた。
軽く再発のショックを味わう。

しばらく患部を麻酔薬で漬けてから針と吸引で除去してもらう。少しだけ目眩も感じた。
次回は1ヶ月後、念のため緊急CTを撮り結果次第で2度目の手術を決定する予定である。

[診療費明細]
再診料 70点
合計点数 70点
合計金額 210円


<2012年1月18日>
起きたら右耳から血の混じった耳だれが出ていた。改めて再発した事を思い知らされる。この臭い耳だれも久しぶりだ。

<2012年2月14日>
いつものように教授の診察を受けた後CT撮影。
再び診察室へ呼ばれ、緊張しながら教授と画像を見る。どうやら耳の中までちゃんと空気が入っており、
画像で見る限り真珠腫の再発は問題ないようだ。とりあえずホッとした。
ただやはり左に比べ聴力が落ちているのを出来れば治したいので、改めて手術をしたいと教授に言われる。
様子を見て再手術の話は前回から言われていたし、これでまた聴力が戻るならば、ということでお願いしますと答えた。
相談の結果、4月13日入院・4月16日手術、入院期間はおそらく10日ほどとの事。
退院したらちょうどGWで仕事も連休に入るのでゆっくり静養出来そうだ。
次回は入院前の検査をするため、4月に入ってから再診予定。

[診療費明細]
再診料 70点
検査 240点
画像診断 1540点
合計点数 1850点
合計金額 5550円